「好きを仕事に」
とよく言われますが、世の中で「好き」を仕事にしている人はどのくらい居るのでしょう?
世の中には、講師、インストラクター、セラピストなど、ありとあらゆるスキルや資格などが溢れていて「仕事」の種類は多種多様を極めています。
なにを隠そう、その言葉に翻弄されたひとりが私です(笑)
一人ひとり顔かたちが異なるように、生まれながらにしてみんな持ち味や特質が違う、と、かの松下幸之助さんは言います。
「好きこそものの上手なれ」とあるように、好きであるからこそ努力し、切磋琢磨できるというのですね。地道な練習が必要なピアノやギターなどでも上達が早いもので、それを仕事に活かせるとあれば、この上ない幸せだと思います。
音楽、芸能、芸術、スポーツなど、その才能を存分に活かして活躍する方々がいる反面、「下手の横好き」という類の人もいます(私です…(笑)
実は、世の中、こちらのほうが圧倒的多数なのではないか?と思っています。
将棋は好きだけど強くない、野球やサッカーが好きだけれどもプレーはいまひとつ、努力しても一向に「成果」につながりません。
それほどに好きなのに、それを「仕事」に出来ない理由のひとつは「天分と違うことをしている」ことでしょう。
「天分」とは「天から与えられた性質・才能・職分」のこといい、自分で選べる類のものではありません。
仮にある人が幸福になったからといって、皆がその人のしたとおりにしても幸福になれるわけではありません。そこには天分の違いがあるのですから、いくら真似しても同様の成果はあがらないのです。
ただ、その「天分」はどんな人にも平等に与えられています。
天分は、その人に与えられた職分なので、天分に従うとなんの「努力」も無しで豊かになることができます。
わたしが両手をひろげても
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥はわたしのように
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても
きれいな音は出ないけど
あの鳴る鈴はわたしのように
たくさんなうたは知らないよ。
鈴と、小鳥と、それからわたし
みんなちがって、みんないい。
金子みすゞさんの有名な詩「私と小鳥と鈴と」。
本当にこの通りです。