人生における、ゲームの最終局面、未だ格闘中です(笑)
ラスボス、手強し。
今、ブログの他に何かアウトプット出来るものを模索中なのですが、その一つとして「インスタライブ」を選びました。
…が、全然うまくいかず(汗)。
この時の自分の感情を分析してみると「恥ずかしい」という概念でした。
「恥」とは「愛されたい」という純粋な欲求です。
「愛情を受ける価値を持ちたい」「居場所が欲しい」という欲求から生まれます。
恥は、自分が何か根本的に間違っていて受け入れられていない、愛されていない、という感情でもあります。
ここで似た言葉に「罪悪感」がありますが、罪悪感は行動に対して悪い、と感じる感情であり、対する「恥」は自分自身が悪い人間である、と感じる感情です。
罪悪感は必要な時に状況を改善する動機付けになる、いわば生産的な感情ですが、恥は人間を麻痺させ、効率的な行動をとらせない非生産的な感情です。
恥の根本には、自分には致命的な欠点があり、今までもそうだったし、これからもそうだろうと信じている「中核の信念」が存在します。
例えば以下のようなものです。
・自分は欠陥品だ
・自分は愛される価値のない人間だ
・自分はどうしようもない人間だ
・自分は不十分だ
・自分は出来損ないだ
私の中のラスボスも、常に常にこういう観念を何かというと突きつけてくるので、ライブでも声がうわずるやら、言葉が浮かんでこないやら…。
この概念から自由になる唯一の方法は、その側面もネガティブな中核信念も受け入れ、自分全体を認める必要があります。
ラスボスごと、愛してあげるのですね。
「私は恥だ」ではなく「私は恥を感じている」。
「私が悪い」のではなく「私は悪い、と感じている」
と、内側からでなく俯瞰した見方が必要です。
そして、この感情を抱えているのは、自分だけではない、と気づくこと。
同じ思いをしている人なんて、世の中に五万と居るはずです。
大なり小なり、人前で話したりプレゼンしたりすることに抵抗を感じる方は結構たくさん居るはずです。
小学校の時、先生に当てられて、うまく答えられなかった自分が重なりました。
そしてラスボスの声も聞こえてくるのです。
「ほうらね、やっぱりうまくいくわけないでしょ。」
私はこのラスボスに「イライザ」と名付けることにしました。
そう、知る人ぞ知る、あのキャンディー・キャンディーに登場する意地悪お嬢さまです!(古)
以前なら、イライザの言葉に萎縮し、何も出来なくなり、立ち止まっていた私ですが、自由を選ぶ為にはもうこの言葉には従いません。
大事なのは、イライザを取り除いたり、捨てたりしようとしている訳ではなく、むしろ意識して、配慮あるやり方で向き合うことです。
自分に与える影響力をイライザから、本当の自分にシフトすることこそが、このゲームの攻略法と言えるのかもしれません。
ライブ配信も、その気づきの為に必要不可欠な出来事だったのだなあ、としみじみ感じています。